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ー第2章ー 1.l’aventure Ⅱ

Author: 土浦タカ
last update publish date: 2026-08-28 17:13:57

夜が明けたら未蘭ミラノに着いていた。眩しい日の出で外の耀が透けた日覆いブラインドを開けると目の前には未蘭ミラノ中央駅が見えてきた。石造りの巨大な建造物は駅というよりも神殿を思わせる外観だ。確かムッソリイニが権力の象徴で作らせたものだったはず、と朧気な記憶を辿った後にイレヱヌは慌てて写真を撮る。セシルはまだ夢の中だ。朝は弱い方なので当然だろう。イレヱヌはセシルが眠っている間に昨日の食事や買い物、オリエント急行の外観、内装等についてイラストと文で書いていく。完全に習慣だ。そうだ、廊下の写真も撮っておきたい、と思い部屋を出る。列車は連結部分の扉も桃花心木マホガニィが使われ、各車両には各々の名前や由来、製造年が記されていた。窓から駅を眺めると、鉄骨と硝子ガラスで出来たアーチ屋根が見える。

(綺麗……)未蘭ミラノ中央駅が非常に壮麗な駅である事は勿論知っていたが、間近でみると想像を超える感動があった。

イレヱヌは車内の探検に満足して自分達の部屋に戻る。「お早うイレヱヌ」何故か少しむすっとしたセシルが頬に接吻キスをして出迎えてくれた。「もう、どうして一人で何処かに行っちゃうの?」頬を膨らませながら不満を訴えてきた。イレヱヌはやや面食らいながら

「セシルは未だ寝ていたから起こしたらいけないと思って」と理由を答えた。「そんなに機嫌を損ねないで、ダアリン」イレヱヌはあやすように微笑わらいかけながらセシルの桜桃の様な唇に小鳥が啄むような接吻キスを落とした。「駄目、そんなんじゃ僕の機嫌は直らないよ」セシルは笑いを含んだ甘え声でイレヱヌの首筋に頬を擦り付ける。ルルがマアキングをする姿を彷彿とさせ、思わず笑いそうになった。首筋に顔を埋めてセシルは「さっきまで何してたの?」と訊いてきた。「落書きした後写真を撮ってたよ。」と擽ったさに笑い声混じりに答えた。

「落書き?」とセシルが不思議そうにするため、「絵日記みたいなものかな?」と首を傾げながらイレヱヌは答えた。実際は日記という程の内容も無いのだが。「ほら、このノオトに書いてるの」と部屋の卓子テェブルのノオトを見せながら教えた。大胆な波と青みがかった山の“浮世絵”と呼ばれる版画が印刷されたノオトだ。偶々メトロポリタン美術館で此の版画を見て、ジャンヌが「Iの眼の色に似ているわね」と嬉しそうに言ってくれたため、この絵が好きになったのだ。

「見ても良い?」とセシルは許可を取った後にパラパラと頁を捲っていく。徐々に感嘆した表情となって「イレヱヌ凄いね。こんなもの描けたなんて、知らなかった」と感心した。

まさかセシルからその様に評価されるとは思わず「只の落書きだよ」と照れて言葉少なに答える。実際只の落書きだ。退屈な小学校時代の暇潰しをするために始めたに過ぎない。しかしセシルは「だから良いんだよ」「何気ない日常が凄く浪漫チックに描かれてるから」と過大に褒めてくれた。まさかそんなことを言われる日が来るとは思わなかったのでどうして良いのか分からない。赤くなりもじもじとしているイレヱヌにセシルは

「ねえ、昨日の事は何も書いてくれないの?」と悪戯っぽく笑いかける。何の事か分からず

「昨日の事?」と問い返した。「昨日の夜の事だよ。恋人達にとっては大事な記念日なのに!」とセシルは笑って言うとイレヱヌの頬を両手で包み込んだ。何の事を指しているのかに気付き、イレヱヌの頬には赤みが差した。

「あ・れ・は……態々書くようなことじゃないじゃないから……」と蚊の鳴くような声を絞り出すと

「どうして?僕達が初めて身も心も結ばれた日なんだよ?すっごく大事な事じゃない?」と耳を食みながら熱っぽく語りかけてきた。途端に身体の奥が熱くなる。全身の細胞が目を覚ました。セシルはイレヱヌの発達途上の未だ萌芽の段階に入ったばかりのような身体の僅かに丸みが生まれた部位を掌でなぞりながら「もしかして、憶える必要が無いって思ってる?イレヱヌはあれを忘れたい?」と目を見詰めながら訊いてきた。「待って、セシル。お願い待って」とイレヱヌは止めようとする。身体が勝手にみっともなく震える。まるで生まれたての小鹿だ。自分で自分の身体を制御出来ない。一体どうしたというのだろう。先ほどから鼓動が煩い。心臓が耳元まで移動してしまったかのようだ。

「駄目、待てない」セシルの手がイレヱヌのブラウスとスカアトの裾を捲り上げてきた。セシルの掌は熱くなっていた。「Non ……non……」セシルのシャツを引っ張り首を振りながら弱々しく声を上げるイレヱヌに構わずセシルが釦を外していくと扉が軽快なノックを奏で「お早うございます」と愛想の良いスチュワードが朝食を運んで来てくれた。

慌てて二人が離れる。イレヱヌは自分の姿を見られないよう部屋の隅に移動し壁際に身体を向けた。

朝食が次々と卓子テエブルに並べられる。

銀のポットに入った珈琲、紅茶、ホットチョコレイト、

焼きたてのクロワッサン、パン・オ・ショコラ、バゲットに仏蘭西産のワゴン・リ社の紋章が彫られた牛酪バタア

搾りたての新鮮な甘橙オレンジジュウスだった。銀食器、磁器には全てワゴン・リ社の紋章が入っている。

スチュワードが部屋を出た後に「昨日朝食は部屋まで運んできてくれるって教えて貰ったじゃない」とブスッとした顔でイレヱヌは言った。「だから駄目って言ったのに……」釦を全てとめて、きっちりと服を整える。「朝食なんて要らないよ……」とセシルはがっくりとした様子で椅子に座る。「せっかく良いところだったのに……」イレヱヌは赤面しセシルの手の甲をつねった。「ところで、もし誰も来なかったらあのまま続けても良かったの?」にんまりとチェシャ猫を思わせる笑顔でセシルが続ける。イレヱヌは何も聞こえない振りをしてクロワッサンを少し千切り、牛酪バタアを載せた。聞こえない振りをしたが耳は赤くなっているのをセシルはにっこりと笑って見詰めた。

目的のヴェネツィアに昼前に着く。二人は出口に向かわず運河で待つホテル出迎えのボオトに乗り、そのままホテル・ダニエリに向かった。イレヱヌ達のトランクはワゴン・リのボーイからポーター、そしてホテルのボーイへと速やかに運ばれていく。(伊太利には珍しい事だ)移動方法がボオトなことに驚き、本当に自分は水の都に来たのだと感激した。ボオトに乗ると目線が水面に近い。大運河カナル・グランデを走る爽快感に高揚する。セシルと二人で黄色い声を上げてはしゃいだ。「気持ちいい!最高!」

セシルの言葉にイレヱヌも「最高!」と声を上げて同意した。運河の色は太陽の陽に当たるとボッティチェリの“美神ヴィヰナスの誕生”の海の色を思わせた。此の光景を永遠に目に焼き付けたい、そう思うと思わずセシルの手を取った。此の永遠に思える瞬間を二人で共有したかったのだ。セシルはイレヱヌに笑いかけると指を絡ませた。まるで自分達の手の内で世界の総てを掬いあげたような気持ちだった。

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